そこでまつ君へ

2011.03.11を連想させる描写が多くあります。故に閲覧は自己責任でお願いいたします。

15歳の戯言だと思ってもらって結構なので、一読していただけると嬉しいです、



いつものおやつ。

バターを塗って、砂糖をかけて、トースターで4分焼く。



あと二分で焼きあがるって頃かな、、、、家の棚が、、、揺れ始めた。

母が慌てて私と弟を庭へ出して、急いでまた家の中に戻っていった。地面が、知らないように揺れてる。


怖い?  と言うより、どうしていいかわからなかった。


初めての経験で、

ガタガタ地面が揺れてるんじゃなくて、地盤が盛り上がるんじゃないかってくらい、ゆっくり、確実に地面が揺れた。


あの嫌な音がずっと頭の中でなって、

心臓が飛び出しそうになったとき、母が避難用のバックをもって帰ってきた。



立っているべき、座ってるべき?弟は当てにならない、母は焦っているようにみえる。

でも当時まだ6歳だった私にはその恐怖がどんな物なのか、、分からなかった。


揺れが少し収まったとき、テレビの中で、慌てているニュースキャスターに、

父に急いで連絡する母に、私はまだ理解が出来ていなかった。



ただ怖かった。得体の知れない恐怖だった。

家の中に戻ってからも私は母にひたすら、怖いから、テレビを付けないでと、そう懇願していたのだという。




そのときにはもう、トースターの中にある大好きなおやつだって、冷め切って味気ない物になっていた。


震源地は福島だった。私の祖父母、親戚が住んでいる場所だった。

その日の夜だろうか、家が流されている映像がずっとニュースにでてた。





あれから八年と少しが経とうとしてた去年の夏。

私は岩手県を訪れた。

津波の被害から唯一、生き延びることの出来た陸前高田町の「奇跡の一本松」を見に行くためです。


でも私の印象は、その場所に行ったときより、その後の印象のほうがはるかに印象深く残っている。

その場所を訪れた時、その木が立っている、その場所にある。ってことだけに感銘を受けた。


だから何枚も写真を撮った。この風景を目に焼き付けたくて。


この写真は、私が撮った写真のうちの一枚です。

あえてモノクロで撮ったこの写真、でも私の目には活気にあふれ「生きてた」

一本松は映りませんでした。



この写真の松を見て私は、立ってる「だけ」にしか見えなかった。

この松が今は生きていないモニュメントだと知ったのは、家に帰ってきてからのことでした。


生きてない、もう生きてないのに、、まるで「生かされてる」みたいだって。

植物の植物状態、なんていったら、少し変かもしれないけれど、

この子はまるで、チューブに繋がれてでしか、心臓の動かない人間みたいに感じて、


そのチューブを抜けば、そこからいなくなっちゃいそうで。



人々は最初、この松を奇跡だと言いました。希望を寄せ、一筋の光だと言いました。

でも、何千とあった防風林の中、たった一本だけ残った松は、次第に枯れ、ついには枯死しました。


もう生きれないのに、それでもなお周りから「生きて欲しい」って言われるって、辛いんじゃないかな。



私は陸前高田の人じゃない。ましてや被災者でもない。

これはあくまで、蚊帳の外からの視点だけれど、後ろの壊れた建物。むき出しの地表。


そこに立つ松を、私は「凛々しい」とか「儚い」なんて言葉で片付けたくない。

もっともっと、違う意味を持って、その場所にいてほしい。



そんな松でもなお、人はこの地を訪れ、そしてまたきた場所へと帰っていく。

なんのため?希望をもらえるから?ちょっと興味が湧いたから?


私がもう一度この地を訪れる時がくるならば、その時は「自分が生きてること」を確かめるために行く気がする。

晩年、もうあと長くないくらいの頃。何十年も前と、同じ姿形に残るであろうこの松に、「君はまだ生きてる」って言って欲しくて。



「僕は変わらない、変われない。でも僕の周りは少しずつ変化していって、世界は確実に動いてる。

壊れてたあの建物だって、むき出しだったあの地表だって。

僕がだけが取り残されたみたいになって、自分だけが変わらなくって、己の世界だけがゆっくりに見える。

時間が、時空が止まってるみたいに。ほら、いつの間にかついこの前来てくれた君の顔にもシワが増えてるって。

それが酷だ。とってもとっても辛い。でもそれが僕の使命なのかも。この地でこの場所を見守る。世界が変わって行く中で、

ずっと変わらない僕が、僕であり続けることが、僕の使命、僕の定め」



あの松の写真を見るたび、私の世界もまた、目まぐるしく動いてて、たまに自分だけがゆっくり歩いてるように感じる。


でも追いつけるよ、って言ってくれてる気がするんだ。

あの松が「ゆっくりでも確実に変われる」って背中を押してくれてるような。

彼は変われない、けど私は変わることができる。前に一歩踏み出すことができる。


彼のかわりに、もう一度這って、立って、歩いて、走れる。


周りには自分を追い抜いて行く人がいる。

そういう時、走るのが疲れる時だってあるだろう。

空を飛びたいと嘆くことだって。生えない羽に泣くことだって。


でも、歩けるんだよ。どんなに休んだって、もう一回歩き始めれるんだ。


また君を思い出して、走り始めることができたなら、

前に進むことのない君の代わりに、私が前を向いた時の景色を話してあげるよ。



9年前の明日以来、私はシュガーバタートーストを食べていません。

単にバターとか乳製品が苦手になった、ってだけなんですけど。

でもそれでも、なんとなくいまだに食べるのには躊躇しちゃうかも。



まだ前に進めてないことがいっぱいある。変わらなきゃいけないことがたくさんある。

変えなきゃいけない現状がある。でもそれを変えて行くのは自分。


今生きてる僕らだから。


この記事を読み終わった後、Youthは何をするの?

またスマホに戻る?課題再開する?それとも、自分にできること、ちょっとググって見る?

明日、私ができることって何だろう。


そう思えない日も必ずある。

でも明後日には、遅れた分だけ走れるように。 

今日をまた、生きて行くしかないんだと思う。

#311いまわたしができること



Futureutopia: Blog for youth

future (未来)+eutopia (実現可能な理想郷) それは私たちがつくるもの  コレから先、どんな未来が待っているんだろう? 自分をに問い、自分に迷い、未来を考える私たち思春期。 そんな年齢だからこそ「ミライ」について考えなきゃいけない。 10年後、世界はどんな色で輝いているんだろう? 私たち未来を担う「youth」がつくる「未来の社会」とは

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