Love, Pride

 こんにちわ。今日はクリスマスイブ、happy holidayそしてmerry Christmas ですね!

今日はそんなクリスマスにちなんで、また一つ記事を書こうと思います。

クリスマスといえば、私の中では恋人たちが寒い中イルミネーションを見ているイメージです(ただの偏見ですね笑)


そんな中で、私が掘り下げたいのは、ジェンダーの話。

SDGsの5番にあたるこのテーマ。


最近ではSDGsだけでなく、LGBTQの話題が取り上げられることも多くなってきているし、来年(と言ってもあと一週間程度)でやってくる2020の東京オリンピックが開催されることもあり、レズビアンやゲイオリンピアンたちに注目が集まっていますね。


では、そもそもでLGBTやジェンダーとは一体どういうものなのか。

東京レインボープライド(2019)によるLGBTの定義は以下の通り


Lesbian: レズビアン 女性同性愛者

Gay: ゲイ 男性同性愛者

Bisexual: バイセクシュアル 両性愛者

Transgender: トランスジェンダー 性別越境者

の四つの頭文字からとったもので最近ではこの後にQ、さらにはQIA+がつくことも珍しくありません。


それぞれはこのLGBT以外の性のあり方を表現するためのものです。

たとえば

Questioning/ Queer:クエスチョンニング・クィア

クエスチョンニングは性別がわからない人や意図的に決めていない人、決まっていない人、模索中である人のこと指します。

Job Rainbow Magazine(2019)が言うに、クィアは『元々は「風変わりな・奇妙な」といった英語圏の言葉です。「男・女、異性愛」以外の性に対する理解がなかった時代に、「変態」の意味合いを持って、侮蔑的にゲイを表現する言葉として用いられていました。

ですが、20世紀終盤以降、その侮蔑を向けられてきたセクシュアルマイノリティが中心となって、あえて自身を指す言葉として使うようになり、「自分たちはクィアである」という一種の開き直りの態度と共に、運動や研究が展開され始めました。

というのも、この「クィア」は、当時権利を主張していたゲイだけでなく、その運動の陰に隠れてしまっていたレズビアンやトランスジェンダー、クロスドレッサー(自身の性を表現するにあたり、異性装を行う)なども包括する概念であるため、マイノリティ全体を繋ぎとめ、連帯へと導く働きがあるのです。』

とのことです。I


私自身このLGBTQの中に当てはまるかと言われたら、

おそらく体も心も性別上女性かつ、多くの場合恋愛対象は異性です。

そのため、このテーマに対してセンシティブなものというイメージがあり、

SDGs5番はどうしても取りくものが難しくなっていました。


そんな中で、私が思い浮かんだのが

自分自身の大大大好きな数学先生のこと。

彼女が恋愛対象かと言われたら、おそらくノー。

でも憧れだし、大好きだし、過度に愛情表現してるのは事実。

ストレートに愛情表現をしてるからか、この事実を知っている同学年の人たちは多いと思う。純粋に先生として大好きである彼女のことを好きと言ってないが悪いのか、

もちろん、いいと思う!って背中を押してくれる人もいれば、そうなんだね、と苦笑いの人もいるし、またどうしても理解されず嫌な顔をさせてしまうことだってある。

だとしてもこれは私がレズビアンやバイセクシュアル

であると言う意味には直結しないと思う。

そんな中思うのは、LGBTQより根本で、

だれがどんな人を好きでいようと快く応援できる人になりたいなって思う。

私自身、彼女に恋愛感情は抱いていないけれど、自分の好きな人を「好き」と公言することで、ほかの人に嫌な顔をされるのは悲しいことだと体感した。それは彼女にも悪いし、何より自分自身の心に素直になれなくなってしまう。

と同時になんで、嫌な顔をするのだろうか、

私自身、同じような境遇になったら応援できるのだろうか。

と考えるきっかけをもくれた出来事である。



その感情や指向はほかの人には理解されないかもしれない。

世の中のものは大抵そうだ。満場一致のものなんてほとんど存在しない。


だけれど、その指向が時に多くの不理解を得るかもしれない。

けれど、私たちにはそれらの「愛」を否定する権利はないと思う。

むしろ、なんで否定していいような世の中になっているんだろうか?

好きに理由なんていらない、と言う言葉をよく耳にするけれど、

好きに性別だって関係ないようにも思える。

でもそうするには多様性を理解してして受け入れられるようなヒトと世の中を作らないといけない


好きで私は女の子に生まれたわけじゃない。

生まれ持ってこの体で生まれてきたんだ。そんな自らでさえ望んでいないこの事実を他人にとやかく言われるのはやっぱりおかしい。

だからたとえ、彼が男の子を好きでも、彼女があの娘を好きでも、

私も彼も、彼女が好きでも。

見かけは男の子の彼が私なんかより女性らしくて魅力的だとしても。

私と同じように女の子に見える彼女が、私より男らしくてカッコよくても。

どちらの性にも思わせる、アンニュイで曖昧な友達がいたとしても、

素敵だなって思える、、思ってもらえる世の中にしないといけない。

彼女や彼らやほかの人たちが、自分の人生で見つけた素敵な「恋」や「愛」や「好き」を

誰に何も言われず、堂々としていられる世の中に。


Futureutopia: Blog for youth

future (未来)+eutopia (実現可能な理想郷) それは私たちがつくるもの  コレから先、どんな未来が待っているんだろう? 自分をに問い、自分に迷い、未来を考える私たち思春期。 そんな年齢だからこそ「ミライ」について考えなきゃいけない。 10年後、世界はどんな色で輝いているんだろう? 私たち未来を担う「youth」がつくる「未来の社会」とは

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